行動経済学研究チームによる連載第4回は、印象的な数値や過去の経験が人の行動に影響を与えてしまうという「アンカリング効果」についてお話ししたいと思います。
アンカリング効果とは?
まず、以下の状況を想像してみてください。
あなたは次の4月から初めての一人暮らしをすることになりました。生粋のゲーマーであるあなたはまずは大きめの液晶テレビを買うために家電量販店を訪れました。
早速店頭に飾られている液晶テレビを見つけ、近づいてみると、以下のような値札が付いています。
いかがでしょうか。
「お得!」と思った方が多いのではないかと思います。
では、なぜそのように思ったのでしょう(8万円というのは決して安い金額ではないはずです)。
それはきっと、あなたが値段の上に書いてある「127,000円」の存在に気付き、「約50,000円も割引なのか!」と考えたからではないでしょうか。
この現象は、「アンカリング効果」という心理学の言葉で説明することができます。
私たち人間の脳は、ある未知の数値(人生で初めて購入する液晶テレビの金額)を見積もる前に特定の数値(メーカー希望小売価格)を示されると、評価がその数値の影響を受けてしまう、という特徴を持っているのです。
まるでアンカー(錨)のようにその特定の数値から離れることができないことが、「アンカリング効果」と言われる所以です。
上記の場合は、メーカー希望小売価格の127,000円が「アンカー」となり、それを基準として実際の販売価格を評価したため、「約50,000円も割引されている=お得」と考えたのです。
この「アンカリング効果」は、私たちの日常の購買行動に無意識のうちに大きな影響を及ぼしています。
過去の自分もアンカー??
今度は次の状況を想像してみてください。
あなたは靴屋さんに新しいビジネスシューズ(革靴, パンプス等)を買いに来ました。
すると早速「かっこいいな(かわいいな)」、と思う靴を見つけました(自分の欲しい靴のイメージを頭の中で描いてみて下さい)。
すぐに値札を確認すると、「26,900円」でした。
さて、この値段を見て、あなたはどのように感じましたか?
きっと、「かっこいいけど高いな・・・」 と思った方もいれば、「このデザインでこの値段はお得!」と思った方もいると思います。
先程の小売希望価格のような「アンカー」が無いにも関わらず、私たちはなぜその靴を「高い」もしくは「安い」と感じたのでしょう。
きっとそれは、あなたが過去に買った(もしくは今履いている)靴のデザインや値段との比較で、今回初めて見た靴の値段を評価したからではないでしょうか。
靴にこだわりがあって、普段高級な靴を履いている人にとって27,000円という金額は安いかもしれませんし、そこまでこだわりの無い人にとっては、靴に27,000円を払うというのはなかなか大きな決断になるかもしれません。
このことは、私たち人間が、自分の過去の購買経験において一つの品物について出してもいい金額が決まると、同じカテゴリーの別の品物にいくら出すかも、最初の価格(アンカー)との比較で判断する傾向にある、ということを表しています。
もう一つ別の例を挙げると、初めての一人暮らしで住んだ部屋とその家賃は、その後の部屋選びに影響を与え続けます(家賃が上がる場合は、その差額が、当時の部屋の広さや最寄り駅へのアクセス等の総合的な改善幅とマッチしているか否かが判断軸になりやすいのです)。
重要な点としては、過去に認識した「価格」そのものはアンカーとは限らず、私たちがその商品やサービスをその価格で買うことを決めた(もしくは購入を真剣に考えた)時にはじめてアンカーになることです。
(先程のテレビの事例において、「割引されているとしても高い!」と思った方は、過去にもっと安いテレビを購入したことがあるか、購入を真剣に考えたことがあるのではないでしょうか)
新たなアンカーで差別化を実現?
では、このアンカリング効果は、ビジネスの場でどのように活用できるのでしょうか。
簡単な例としては、最初の例のように値札に小売希望価格のように、商品やサービスの価格を「安い!」と思わせるという方法があると思います。
一方で、アンカリング効果を踏まえた戦略を立てることで、自社の商品やサービスを他社と差別化し、価格競争からの脱却を実現することもできると思います。
この観点では、スターバックスの事例が有名です(参考文献の『予想通りに不合理』でも触れられています)。
スターバックスが世界中で成功を収めている要因の一つとして、「他の低価格のコーヒーショップと比較されなかった」ことが挙げられます。
初期のスターバックスは、コーヒーの品質だけでなく、軽食も含めたメニューの種類や見栄え、お店の内装等に徹底的にこだわり、入店の経験を他のコーヒーショップとかけ離れた経験とすることに成功しました。
そのことにより、消費者は他のコーヒーショップの価格をアンカーとして使わず「スターバックスのコーヒー」という新たなアンカーをすんなりと受け入れるようになったのです。消費者はその後、スタバで最初に買ったコーヒーの価格だけでなく、スタバに行って満足したという感情までもがアンカーとなり、他店との比較をせずにまたスタバでコーヒーを飲む時間を楽しむことになります。
この事例から得られる学びとして、新たな商品やサービスを考える時、競合他社の商品やサービスと比較されないように(価格競争に陥らないように)、「いかに全く新しいアンカーを用意できるかが重要」ということが言えると思います。
スターバックスの事例のように、商品やサービスそのものだけでなく、カスタマーの行動全体を意識し、購買行動の前後に注目してみると大きなヒントが得られるのかもしれません。
このことを損害保険業界に当てはめるとどのようなことが考えられるでしょうか。
もしかすると、商品名を変えてみたり、保険を販売する空間やお客様との接点に工夫を加えたり、何かお客様に新しい付加価値を提供できれば、全く違う商品と感じてもらうことができるのかもしれません。
我々行動経済学研究チームでは、(しきりにデジタル化が叫ばれる昨今ですが)「人間中心主義」で、行動経済学の考え方を新たな商品の開発やサービスの届け方に活かせないか、自由に楽しく議論しながら考えています(いくつか案も出始めてきたところです!)。
是非色んな方々とも意見交換したいと思っておりますので、気になることやご意見がございましたらどしどしコメントいただけると幸いです!
次回の記事では、リチャード・セイラー教授(2017年ノーベル経済学賞受賞者)によって提唱される「ナッジ理論」についてお話をさせていただきます。お楽しみに!
文責:尾崎
【参考文献】
ダン・アリエリー(熊谷淳子訳)『予想通りに不合理』早川書房, 2008年
ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー(上)あなたの意思はどのように決まるか?』 早川書房, 2014年
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